ついに完成!ペデスタル作戦1942(オリジナル)

昨年6月に製作開始をした「ペデスタル作戦1942」(オリジナル)ですが、GWの昨日、ついに完成しました。はじめは、知られざる地中海の戦いをソリティアでと、軽いノリで製作をはじめましたが、ちはら会・千葉会の同志に支えられ、気がつけば、立派な対戦アイテムに変身していました。

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テストプレイの回数は、公式で25回以上。もちろん、ソロプレイは数知れず(笑い)。選択チット制への大きな転機となったTOMMYさんとのテストプレイや、松山さんの本質をついた鋭い指摘、届きそうで届かないバランスにムキになって4連戦となったルセロさん対戦など、実に楽しい時間でした。苦手のリサーチも、海軍提督kawaさんのおかげでクリア。中野歴史研究会や関西のtakobaさんなどのご協力もいただき、「簡単で繰り返し遊べる」コンセプトを高めながら、年内にはほぼ納得のいく仕上がりになりました。

で、本業と例会でのプレイが忙しくなってしばらく滞っていましたが、年明けから暇を見つけてちまちまとヒストリカルノートを書き込み、先日、最後のデザイナーズのノートを仕上げて、ついに完成にたどり着きました。製作に関わっていただいた15名のみなさんに、感謝を申し上げます。

新しくなったコンポーネットから。ユニットシートを並べ替え、裏表で貼り付けられるようにしました。

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続いて、マップと船団シート及び水上戦シート。これは、ほとんど変わってません。

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最後に、システムの核となるチット一覧表と連合軍戦術チットの早見表。

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ルールは、シンプルが前提なので、2段組のA4盤で5ページ。デザイナーズノートは同1ページ。ヒストリカルノートは3ページ(文字を小さくしたので、ルール量の2/3以上!笑い)。

マイナーテーマ故に、対戦相手に苦労するあなたのために(?)、おまけの「マルタ島!危機一髪」(ソロ専用)は、こみこみで4ページ。

つづいて、渾身のヒストリカルノートをどうぞ(のべで10日以上かかっていたりして!)。

ペデスタル作戦1942 ヒストリカルノート

 1942年8月-マルタ島は、危機に瀕していた。
 地中海に浮かぶ、この小さな島に、すでに2500回以上の激しい空爆が繰り返されていた。
 島民と守備隊を支える食糧備蓄は、まもなく枯渇する。配給は、同じく統制経済中の英本国の1/3まで落ち込んでいる。あらゆる生活物資が、不足していた。
 なにより、軍艦をはじめ、島民にとって生命線となる病院・工場を稼働させる重油が、一月経たずに底をつく。
 敵の重囲の中で、27万人を撤退させる手段も時間も、あるはずがなかった。食糧と重油がこなければ、降伏は時間の問題であった。
 「ペデスタル作戦」-瀕死のマルタ島を救う、英国海軍の一大輸送作戦が発動されたのである。

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喰らいつくマルタの顎

面積がわずか316キロ平方メートルというマルタ島の重要性は、その地理的位置にある。死闘を続ける北アフリカ派遣軍に対し、枢軸軍は絶え間ない海上補給を続けていたが、水上補給路の中央部を約するマルタ島は、まさにのどに刺さったとげであった。ここから出撃するイギリス軍の爆撃機、水上高速艦隊、潜水艦隊は、拠点の奥に逃げ込んでいるイタリア艦隊を尻目に、過小な戦力からは考えられないような戦果を上げていた。
 顕著な例が、41年11月におこったイギリス軍のK戦隊の襲撃である。マルタ島を出港した軽巡と駆逐艦各2隻のK戦隊は、重巡他、多数の艦艇に護衛された7隻のイタリア軍輸送船団を夜間攻撃し、全ての貨物船を撃沈して無傷で帰港した。また、マルタ島に基地を設置した第10潜水艦隊(通称.ファイティング・テンス)も、常に2倍以上の敵の潜水艦を相手に、積極的な哨戒任務を続け、多数の輸送船を撃沈した。イギリス海軍のU級潜水艦は、小型で低性能であったにもかかわらず、これを十二分に駆使することで、41年中に枢軸軍が地中海で失った船舶トン数の35%を撃破していたのである。
加えて、マルタ島を飛び立ったイギリス空軍の爆撃機が、水上艦隊や潜水艦隊と連携して、枢軸軍の地中海横断補給路を締め上げた。キレナイカで最大の激戦が展開された41年10月と11月に、枢軸軍は、実に60%以上の船舶を撃沈されている。ロンメルが渇望した補給物資は、予定のわずか1/3しか届かなかったのである。
 
荒鷲たちの逆襲

 この事態を重く見た枢軸軍最高司令部は、イタリア及びドイツ軍空挺部隊と海上侵攻部隊によるマルタ島攻略作戦-ヘラクレス作戦を計画した。この作戦は、イタリア海軍の支援能力を見限ったヒトラーによって中止となったが、その代わり、彼は東部戦線から第2航空軍を引き抜き、シシリー島に展開中の第10航空軍と協同で、マルタ島を無力化する決定を下した。
二千機にも及ぶ枢軸空軍のマルタ島空襲は、破壊的であった。港湾・造船所・陣地・飛行場・民間施設などあらゆるものが爆撃され、被害を被った。グランドハーバー奥深くに閉じこもった軍艦にも安全はなく、潜水艦は空襲を避けるために日中は湾内に潜行・着底して過ごす有様だった。ロンドン爆撃の2倍の量に達する爆弾が、この小さな島に降り注いだ。42年2月には、枢軸軍の海上補給線は息を吹き返し、損耗率は30%以下に減少した。逆に苦境に立ったのは、マルタ島の方だった。

マルタ島の苦難

 敵の包囲下にあるマルタ島を救うため、3度に及ぶ輸送作戦が、イギリス海軍の地中海艦隊によって実行された。結果は散々だった。2月の船団は3隻全部が損傷・沈没し、マルタ島には1gの小麦粉も渡らなかった。3月の作戦では、劣勢の巡洋艦隊が戦艦を含む敵艦隊に5分以上の戦いを繰り広げ、2隻の商船がパレッタ港に到着したが、積み荷の1/4しか揚陸しないうちに、輸送船は着岸したまま、空爆で沈められた。6月に行われた最大の輸送作戦(ハープーン・ヴィガーズ作戦)では、多くの軍艦の犠牲のもとに、2隻の輸送船(全17隻のうち)が到着したが、マルタ島に陸揚げできた物資は、1万5000tでしかなかった。
 4月以降、ただでさえ少ない食糧配給は、日に日に減少し、兵士への割り当ても健康維持に支障をきたすレベルに落ち込んだ。煙草・アルコール類は姿を消し、水の配当も1日に9ガロンに制限された。蒸し暑い地中海気候のこの島で、シャワーを使うことさえままならなかった。主婦たちは燃料不足を補うため、爆撃で破壊された家屋から材木を集め、それで料理を作ることが日課になった。約3万戸の家屋と100を越える教会が損壊し、1000人以上の死者とそれを遙かに上回る負傷者が、島にあふれた。栄養失調と腸チフスが発生し、このまま、事態が推移すれば、8月末から多大な餓死者が出ることは避けられなかった。島民及び軍隊の超人的な忍耐にもかかわらず、補給の来ないマルタ島には、降伏以外の道は残っていなかった。

チャーチルの決意
 このマルタ島の危機に際し、英国首相チャーチルの取った行動は、断固たる救済であった。ソ連向けの輸送船団が一時的に停止していたため、海軍省は本国艦隊も投入した一大輸送計作戦を準備した。この計画は、地中海制圧の土台となることを願って、ペデステル作戦(台座作戦)と名付けられた。
 護衛艦隊の主力は、英国海軍最強の戦艦ロドネイとネルソンであり、多数の対空砲と強靱な防御力を誇っていた。同じく強力な対空兵装を持つダイドー級防空巡洋艦4隻に、艦隊型の巡洋艦3隻が加わった。予想される対潜警戒のために、2個戦隊の駆逐艦(24隻)が投入された。
 そして、もっとも重要な役割を担うのが、3隻の航空母艦であった。これまで数々の輸送作戦に参加してきたベテランの空母イーグルに加え、2隻の最新鋭航空母艦-インドミタブルとヴィクトリアスが、敵の航空攻撃を阻止するため、投入された。一度に3隻の空母でタスクフォースを編成することは、イギリス海軍にとって初めてのことであり、80機以上の戦闘機が艦隊を直掩することになった。
 作戦の主役となるWS21S輸送船団は、のべ14隻で、積載量は8万5000tを超えた。最大の船舶エンパイア・ホープをはじめ、1万t以上の船舶が6隻も参加していた。唯一の油槽船オハイオには、マルタ島の死活を制する1万1500tの重油が積み込まれた。同船には、至近弾による蒸気機関の損傷を防ぐために、スチール管の使用や主機のゴム防護など、ありとあらゆる防御策が施された。

地中海のアルマダ-重武装船団

 護衛艦隊は、大きく、2つに分けられた。一つは、巡洋艦4隻と駆逐隊1個からなるX艦隊で、直衛艦隊としてつねに輸送船団に寄り添い、損傷船を護衛したり、船団の混乱を取り鎮めたりしながら、マルタ島まで同行することになっていた。もう一つは、戦艦や航空母艦を中心に、防衛の中核を担うZ艦隊である。強力な対空火器、臨機応変に対応できる航空兵力、優秀な対潜能力をフルに発揮し、敵の攻撃から、船団を守ることが任務であった。当初の計画ではマルタ島への同行が想定されていたが、夜間に通過しなければならない狭水域-シシリー沖の幅わずか100海里の海域では、行動の自由の少ない大型艦は危険が多すぎるため、8/12の夕刻にジブラルタルに向けて、帰還することになった。
 出港間際になって、消耗するマルタ島の戦闘機を補強するために、旧式空母フューリアスによる移送作戦-ベローズ作戦が追加された。空母1隻と護衛駆逐艦8隻からなる別働隊が、マルタ島から550海里まで同行し、スピットファイア36機を空輸することになった。
 8/2にイギリスを出港したWS21S船団は、ジグザグ航行や緊急回頭運動の訓練を続けながら、スペイン沖を南下した。後から出港した本国艦隊も、ジブラルタルのH部隊とともに、8/9に船団に合流し、最後の艦隊訓練を実施しジブラルタルに到着した。今まさに、マルタ島を救う最後の賭が始まろうとしていた。

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牙を研ぐ枢軸海空軍

 地中海の命運をかけたこの作戦だったが、ドイツ情報部は、ロンドンに隠蔽した出先機関によって、ほぼ全容をつかんでいた。すでに船団がイギリスを出航する前に、ベルリン-ローマ間で頻繁な暗号が行き交い、この船団を阻止するために、綿密な協力態勢ができあがった。
 まず、地中海西部に展開するイタリア軍潜水艦に、索敵と船団攻撃のための哨戒線が割り振られた。これまでの経験から敵船団が通過する航路は、ほぼ限定されていたのである。さらに、歴戦の勇士に率いられたドイツ海軍のUボート3隻には、対潜警戒線を突破して航空母艦を襲撃する特別任務が与えられた。
 また、ボン岬おきの狭水域には、残った10隻が集結し、潜水艦による夜間集中攻撃を行うことになった。同時に、イタリア及びドイツ海軍の魚雷艇23隻も配置され、夜陰に紛れて、船団に反復攻撃を仕掛ける計画であった。
 もっとも期待を寄せられたのが、サルディニア島とシシリー島に展開する航空勢力だった。ルフトバッフェの第2及び第10航空艦隊の精鋭-各種爆撃機150機に加え、練度は低いもののイタリア軍爆撃機130機が、即時使用可能だった。特にドイツ空軍の急降下爆撃機は、41年の地中海登場以来、正確無比な攻撃を繰り返し、大型艦ばかりか、駆逐艦などの運動性に優れた小型艦艇にも次々と爆弾を命中させ、イギリス地中海艦隊の「天敵」と畏れられていた。これを護衛する戦闘機200機に、偵察機60機が加わり、約540機の航空機が船団阻止のために、臨戦態勢におかれた。
 最後に、敵を遙かに上回る強力な海上打撃兵力-戦艦・巡洋艦隊がイタリア本土に待機していた。燃料備蓄の問題はあったものの、戦艦4隻と重巡3隻、軽巡3隻、駆逐艦多数からなる艦隊が、出港準備を整えていた。敵の護衛艦隊が消耗または帰還した時点で、船団にとどめを刺すべく、投入されることになっていた。
 8/10、最後の燃料補給をしたイギリス軍艦隊は、ジブラルタルを後にした。戦艦2隻・空母3隻を基幹とする重武装船団は、敵があらゆる準備をして待ち受けるただ中に、飛び込んでいったのである。

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イーグルの悲劇

 ジブラルタルを出港して2日目(8/11)、船団は敵潜水艦と航空機の待ち受ける海域に進入し始めた。襲撃は、百戦錬磨のUボートによって始まった。
 U73を率いるローゼンバウム大尉は、アルジェ沖で、十数隻の駆逐艦の厳重な対潜警戒網を突破し、大型の艦影を潜望鏡に納めた。これこそ、地中海で無数の作戦に参加してきたベテラン-空母イーグルであった。剛胆にも輸送船団のただ中から発射された4本の魚雷は、空母イーグルの左舷に連続して命中した。100名の乗組員とともに、イーグルが姿を消すまでに、わずか8分しかなかった。護衛艦隊は、いきなり25%の航空兵力を失ったのである。
発見された船団に、枢軸軍の潜水艦と航空機が襲いかかった。午前8時にイタリア潜水艦アルセイクが雷撃を行ったが、コルベット艦の奮闘により、攻撃は阻止された。続いて、午後2時と薄暮に、サルデニィア島から飛び立ったJu88とHe111の混成雷撃隊36機が攻撃を開始した。これに対し、空母ヴィクトリアスとインドミダブルを出撃した戦闘機隊が迎撃を行い、ロドネイ・ネルソンをはじめとする強力な対空砲火が火を噴いた。曳船ジャンティが被害を受けたものの、昼間でさえ、輝いて見えるほどの対空射撃により、敵機は撃退された。
 イギリス軍にとって、朗報は、別働隊の空母フューリアスからもたらされた。マルタ島への戦闘機の移送を試みたフューリアスは、8/12午後遅くになって、無事に任務に成功したのである。送り届けられた36機のスピットファイアは、後の航空戦で決定的な役割を担うことになる。

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空と海の果てに

 一夜、明けて8/12、バレアレス諸島沖を後にした輸送船団を、空と海から間断なき攻撃が襲った。午前9時、十数機の双発爆撃機が船団上空に姿を現した。しかし、夜明け前からCAPにつき、空襲を予測していたハリケーン戦闘機隊により、この敵は爆撃を行うことなく、蹴散らされた。
 次に、海からの襲撃が相次いだ。午前10時、船団右翼に敵潜水艦がアスディック探知され、2隻の駆逐艦が爆雷攻撃でこれを封じ込めた。1時間後の午前11時、またも、Uボート(U205)が駆逐艦の警戒線を突破し、商船の襲撃に移りつつあった。が、これも探知が間一髪で成功し、駆けつけた2隻の駆逐艦によって、U205は深深度待避を余儀なくされた。
 正午になると、サルデニィア島からの襲撃がピークに達した。イタリア雷撃機10機の攻撃を皮切りに、8機の戦闘爆撃機、41機の混成雷撃機、さらに21機の爆撃機が、次々と船団に襲いかかった。これを迎え撃ったのが、護衛艦隊の激しい対空砲火であった。2隻の戦艦、4隻の防空巡洋艦、3隻の軽巡、2隻の空母から打ち上げられる対空射撃は、海域上空を厚く覆った。出鼻をくじかれた襲撃隊の多くは、射程外から魚雷や爆弾を投下し、有効な命中弾を与えられずにいた。
 しかし、この対空砲火をもってしても、全ての攻撃を防ぐことはできず、戦艦2隻と軽巡カイロが至近弾を受けた。また、商船デューカリオンが魚雷と至近弾を喰らい、護衛艦の救助活動もむなしく、夕刻前に沈没した。

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シシリー島の悪魔

 連続した海空からの攻撃は、イギリス将兵の必死の防戦によって、致命的な損害を与えられずにいた。しかし、夜明けから休みなく続けられた襲撃によって、乗組員の疲労はピークに達していた。対空火器の射手たちは、コルダイト火薬の硝煙で半ば窒息状態となり、轟音と爆音により意識が朦朧としはじめていた。八面六臂の活躍の戦闘機パイロットたちは、あまりの蓄積疲労に操縦席で眠りこける始末だった。シシリー島の「悪魔」-十分な数の戦闘機によって護衛された100機以上の爆撃機が、同時攻撃を開始したのは、まさにこのときだった。
 午後6時30分、13機のサボイヤ雷撃機の襲撃をはじめに、万全の準備を整えた無数の急降下爆撃機が、甲高い効果音とともに艦隊に襲いかかった。爆弾の炸裂、水しぶき、対空火器の咆哮の数分間で、艦艇への被弾が相次いだ。
 駆逐艦フォーサイトの艦尾に魚雷が命中し、舵・スクリューを完全に吹き飛ばした。僚艦の救助も届かず、後にフォーサイトは艦隊の手で沈められた。
 もっとも集中した攻撃を受けたのが、空母インドミダブルだった。ケッセルリンクの精鋭部隊であるスツーカ40機が、CAPの迎撃をかいくぐって、次々と急降下爆撃を敢行した。3発の爆弾が甲板に命中して炸裂し、前部と後部に火災が発生した。空母は、延焼を押さえるために風下に向きを変え、巡洋艦と駆逐艦が警戒線を張って他の敵を遠ざけた。必死の損害制御が功を奏し、作戦能力を失いながらも、インドミダブルは、かろうじてジブラルタルへ帰港することができた。

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魔の狭水域

 最後の航空攻撃が終わった午後7時、当初の予定に従って、Z艦隊が反転を開始した。狭水域では、大型艦はただの雷撃目標でしかなかったのである。敵の重圧を押し退けてきた戦艦・空母隊は、船団に「心から成功を祈る」と信号を送り、ジブラルタルに向かった。輸送船団に残されたのは、4隻の巡洋艦と12隻の駆逐艦、そして13隻の貴重な輸送船であった。
 午後8時過ぎ、ここまで戦果のなかったイタリア潜水艦が待ち伏せ攻撃を開始した。3隻の潜水艦によって、軽巡3隻と輸送船3隻が損害を受けた。防空戦闘指揮班を擁した巡洋艦カイロは沈没し、旗艦の軽巡ナイゼリアも、損傷のため、ジブラルタルへの帰還を余儀なくされた。輸送船2隻は海上に火災を起こしながら沈没し、船団はこれを避けるために広範囲に散らばる格好になってしまった。
日付が8/13に変わる頃、必死に体勢を整えようとする輸送船団に、これまでとは全く違う脅威が迫りつつあった。必殺の魚雷を抱き、至近距離まで接近して攻撃を行う勇猛果敢なSボート-魚雷艇である。速度と機動性以外になんら防御手段を持たない小型獣たちが、ボン岬に達した船団に牙をむいた。イギリス軍艦艇と輸送船が激しい銃撃を加えるものの効果は薄く、闇夜から突然現れて一撃離脱に徹する魚雷艇に、一晩中、翻弄され続けた。イタリア・ドイツ海軍の23隻の魚雷艇は、夜明けまでに、15回以上の反復攻撃を敢行し、軽巡マンチェスターと輸送船4隻を沈めてしまったのである。これは、単独の攻撃手段としては、航空機を上回る戦果であった。
 満身創痍の生き残りが水平線に暁を認めたとき、船団は、軽巡わずか2隻(うち1隻は損傷)、駆逐艦7隻、輸送船5隻にまで激減していたのである。

イタリア艦隊は、いずこに・・・

イギリス艦隊は、絶望的な状況に立っていた。枢軸軍は、ここまで温存してきた最強の打撃兵力-イタリア艦隊を投入しようとしていたのである。わずか2隻の軽巡で敵艦隊を迎え撃つことなど、不可能だった。連日の戦闘と夜通しの襲撃で、傷つき、消耗し、疲れ果てたX艦隊は、水平線に目をこらし、襲撃が始まるのを待っていた。
 重巡3隻と軽巡3隻を基幹とするイタリア巡洋艦隊が、サルデニィア及びシシリー島を出港したのは、8/11の夕刻だった。この艦隊は、翌日の夕刻に、シシリー島の北方で集結を終えると、南下を始めた。船団の襲撃予定時刻は、8/13の早朝だった。
 イギリス空軍の偵察機は、この動きを察知していたが、これを阻止すべき爆撃機はなかった。やむを得ず、空軍司令部は多少の混乱でも引き起こせればと、偵察機に照明弾を落とすことを命じ、平文でありもしない爆撃命令を打電して、架空の襲撃を演出した。驚くべきことに、イタリア艦隊はこの詭計にかかった。一路、南下を続けていた巡洋艦隊は、攻撃を受けていないにもかかわらず、その針路を変えたのである。
 判断を誤ったイタリア海軍を、さらなる不運が襲った。シシリー島沖で哨戒中の英潜水艦アンブロークンが、針路変更をした敵艦隊をとらえたのである。8/13の早朝、一列に並んで航行中の巡洋艦を発見したマーズ大尉は、護衛駆逐艦の警戒線を突破して、一隻の大型艦に狙いを定めた。放たれた3本の魚雷は、重巡ボルツァノを大破させ、軽巡アッテンドローの艦首を吹き飛ばした。艦隊は大混乱に陥った。この襲撃に狼狽したイタリア巡洋艦隊は、なんら戦闘に寄与することなく撤退してしまったのである。

マルタの鷹

 もはや、船団を阻止できるのは、シシリー島からの航空攻撃だけだった。対空砲火の厳しさは以前、続いていたが、すっかり数が減った護衛艦艇の隙を付き、急降下爆撃機と雷撃機が船団を狙って、肉薄攻撃を仕掛けてきた。
 午前10時50分、最初の魚雷攻撃がはじまり、船団は間断なく緊急旋回を繰り返した。奇跡的に命中弾はなかったが、至近弾が艦艇や輸送船を激しく揺さぶった。商船ポート・チャルマースを狙った魚雷は、完全に命中コースに入りながら、機雷防御用のフロートに引っかかってストップしていた。軽巡ケニヤは舷側わずか数mのところに、マストを越える水柱が上がり、衝撃で浸水と火災が発生した。ほとんどの艦艇が、なんらかの損傷を受けていた。船団のピンチを受信したZ艦隊から、防空巡洋艦カリブディスと駆逐艦2隻が急派され、船団に合流したが、激しい空襲の前には、全滅は時間の問題と思われた。
 この危機的状況を救ったのが、マルタ島からの救援-戦闘機隊であった。夜明けとともに同島から飛び上がったボーファイターとスピットファイアが、船団上空に到着し、敵の攻撃機に突撃を開始した。戦闘機を誘導すべき防空指揮班はすでになく、低空で進入する枢軸空軍を捕捉することは困難だったにも関わらず、マルタの鷹は、休むことなく敵に立ち向かい、敵の攻撃を阻止し続けた。
 午後6時過ぎ、20機以上の戦闘機と掃海艇に護衛された船団は、ついにグランドハーバーにたどり着いた。遅れて到着した商船ブリスベン・スターを含む4隻の輸送船が、島民の歓呼の中で、マルタ島を飢えから救う食糧を揚陸した。しかし、以前、状況は厳しかった-港湾・病院・工場・軍事施設を稼働させる重油を積載した油槽船オハイオは、到着した4隻の中に入っていなかったのである。

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「ラッキー・オハイオ」

 全長515m、搭載量17万バレル、速度17ノット-40年に完成したばかりの米国製の最新型タンカーが、この作戦に参加したのは、全くの偶然だった。それまで、アメリカの国内航路で使用されていたオハイオだったが、苦闘を続けるイギリスを支援するため、5月に石油を満載して、英国に到着をしていた。是が非でもマルタ島を救う覚悟を決めていた英国政府が、このタンカーに目をつけ、両国間での協議が行われた。オハイオはイギリス海軍によって徴発され、可能な限りの武装を施され、重油を満載して、地中海へと乗り出したのである。
 枢軸軍の激しい空襲を受けながらも、当初、オハイオには幸運の女神がついているようであった。巨大な船体とその特徴的な煙突配置から真っ先に標的になりかねない同船だったが、船団を狙う爆弾や魚雷は、ことごとくオハイオを避けた。8/12の日没を迎えた時点で、オハイオが被った損害は、時折、立ち上る至近弾による水しぶきだけだった。
 船団が狭水域に突入した8/12の深夜、オハイオを突然の激震が襲った。何の前触れもなく、激しい衝撃とともに、クルーは床に投げ出され、船体中央に火の手が上がった。沈黙の兵器-機雷である。重油を満載したタンカーが火災になれば、結果は明らかなはずだった。しかし、メーソン船長はじめ、77名の船員はあきらめなかった。一度は、救命ボートに待避をはじめた一同だったが、機関が無事なことを知ると、全員がオハイオに戻り、決死の消火活動をはじめた。外では、夜間爆撃機や魚雷艇による攻撃が続いていたが、30分後に奇跡的に火は消し止められ、オハイオは再び、航行をはじめた。機雷により、船体中央に破穴があき、操舵装置が麻痺していたが、このタンカーは、駆逐艦レドブリーに導かれ、暗夜の狭水域を抜けた。

不屈の勇者

消火と修理のためにより、オハイオは船団から大きく遅れはじめていた。8/13の夜明けにマルタ島へあと1日と迫ったとき、最大の試練がオハイオを襲った。午前9時25分、シシリー島を飛び立った60機以上の急降下爆撃が、遅れているオハイオに集中攻撃をかけてきた。多数の水柱が船体を揺さぶり、3発の至近弾が甚大な損害を与えた。船員は必死の防戦で1機の爆撃機を撃墜したが、あまりに近距離だったため、機体は甲板前方に激突して爆発をした。
 船首の砲座はねじ曲がり、上部構造物は機関銃弾や破片により、穴だらけになった。電灯は破裂し、船体はゆがみ、前部油タンクに浸水が起こった。燃料供給ポンプが破壊と蒸気管の損傷により、機関は完全に停止し、オハイオは航行不能に陥った。しかし、乗組員も船団司令官も、このタンカーを見捨てる気はさらさら無かった。レドブリーとペンの2隻の駆逐艦がただちに派遣され、空襲の中で曳航を開始した。
 8/14、わずか4ノットで航行を続けるオハイオを抹殺するために、再びドイツ軍爆撃機が襲撃を開始した。護衛艦の必死の防衛にかかわず、「うずくまったあひる」は、船体中央と後部に2発の直撃弾を受けた。浸水はさらに増加し、乾舷はすでに4フィートを切り、総員に退船命令が出された。しかし、なお、オハイオは沈むことを拒否し続けた。わずかに残った前部の浮力と頑丈な溶接構造が、かろうじて水没を防いでいたのである。
 8/15、再び、イギリス海軍のジョンブル魂が発揮された。現場にさらに2隻の駆逐艦が到着し、牽引を支援した。破穴から流れ込む水流でたびたび針路がそれたが、2隻の駆逐艦がオハイオの両舷に横付けして、航路を維持した。乗組員は、いつ沈んでもおかしくない瀕死の油槽船に、次々に舞い戻り、操船を続けた。上空には、つねにマルタ島からの護衛戦闘機が飛び交い、敵の航空攻撃を全力で阻止した。
 8/16の黎明、船団到着から遅れること3日目に、オハイオと護衛戦隊は、グランドーハーバーに到着した。上甲板が波に浸かり、傷んだ鋼板がきしみを上げる不屈の油槽船を、多くの男女が熱狂的な歓迎で迎えた。すぐに重油の揚陸がはじまり、最後の1ガロンを移送すると同時に、「ラッキー・オハイオ」は湾内に着底し、その生涯を終えた。
 先に到着した4隻の輸送船の食糧とオハイオの重油によって、マルタ島は息を吹き返した。その後、増強された戦力により、もはや、マルタ島が危機に陥ることはなかった。地中海の要衝マルタ島は、こうして救われたのである。

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<参考文献>
マルタ島攻防戦 朝日ソノラマ(86年)
地中海の戦い 朝日ソノラマ(93年)
死闘の駆逐艦  朝日ソノラマ(91年)
雷撃 朝日ソノラマ(82年)
欧州海戦ガイド 新紀元社(96年)
<参考SLG>
Command at Sea -SupremarinaⅡ

なお、本作について、以前はネットでの無料配信をおこなっておりましたが、現在は終了しております。かわりに、ご希望の方には、プリントアウトしたコンポーネント一式を、有料配布しております(頒価1500円+送料)。なお、プレイにはユニットの自作(シール)が必要ですので、ご注意ください。

地中海にも、春が来ますように・・・。

「ペデスタル作戦1942」関連記事一覧
http://chiharakai2005.at.webry.info/200606/article_9.html
http://chiharakai2005.at.webry.info/200606/article_14.html
http://chiharakai2005.at.webry.info/200608/article_17.html
http://chiharakai2005.at.webry.info/200608/article_12.html
http://chiharakai2005.at.webry.info/200610/article_5.html
http://chiharakai2005.at.webry.info/200608/article_22.html
http://chiharakai2005.at.webry.info/200610/article_18.html
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newslistdisplay.do
http://chiharakai2005.at.webry.info/200610/article_9.html
http://chiharakai2005.at.webry.info/200611/article_11.html
http://chiharakai2005.at.webry.info/200611/article_16.html
https://bblog.sso.biglobe.ne.jp/ap/tool/newslistdisplay.do

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この記事へのコメント

うおP
2007年04月29日 23:00
ついに完成しましたか!どうもお疲れ様でした。
たしかに、小生のような戦史に疎い人間には慣れないテーマですが、これをプレイして知名度(?)があがるといいですね。
ぼくが国民擲弾兵さんとプレイさせていただいた時から、また変わったのでしょうか?
機会があれば、是非プレイさせてください。
本当におめでとうございました。
で、紅白のお餅は配らないの?
ご苦労様です。
2007年04月30日 09:56
完成したとのこと、ご苦労様でした。
数多くのプレイヤーの協力あっての完成とのこと。
mitsu氏のご努力あってのことと思います。
プレイヤーの数だけゲーム解釈はあると考える私にとって、テストプレイヤーを10名以上確保できたことに脱帽です。
第2弾、第3弾とゲームデザインを続けられることをお祈りします。
ワニミ
2007年04月30日 11:16
完成、おめでとう御座います。
小生、オリジナル作品ゲームの「カウンターを自作」する事を趣味に致しております。
どうか、「カウンター自作」と「プレイ」を希望しております。
いづこより、ご連絡いたせば宜しいでしょうか?
どうぞ、ご教示ください。
takoba39714
2007年04月30日 22:58
完成おめでとうございます。
mitsuさまの努力と愛の結晶ですね。
ペデステル作戦との出会いがなければ、今の「帝海」はあり得ませんでした。
それに引き替え私がお返しできたことは・・・
でも、ペデステルに多少なりとも関われて、ホントに良かったと思っています。
mitsu
2007年04月30日 23:28
おお!こんなマイナーアイテムに、関心をもっていただき、ありがとうございます。昨日の夜中にアップしたのに、すでに2名の方から、配信希望をいただき、喜んでいます。

これまで、既存のゲームの改良やオリジナルコンポーネントの製作などをしたことはありましたが、純粋のゲームデザインで完成までたどり着いたのは、はじめてです。アイディアはいろいろと浮かぶのですが、完成品を作るとなると、論文製作に似て、地道に時間をかけるしかないと、心から実感いたしました。

所詮、素人デザイナーのため、生きている内に(笑い)、いくつ作れるかわかりませんが、今後も「ちはら会ブランド」をどうぞ、よろしく。
勢いついでに、大風呂敷のmitsu
2007年04月30日 23:42
ついでに、かつて製作を試みて、完成したいと思っているアイテムは、以下のとおりです。

「大坂夏の陣~天王寺決戦!」
・夏の陣最後の戦いを描く会戦級ミニゲーム。モラルを中心にした6出ろシステム。システムは、マレー電撃戦に似ています(高校時代に作ったときは知らなかった!)基本はほぼ完成し、ソロテストも良好。誰か、グラフィック(マップ)を担当してくれませんかしら。

「聖戦士ダンバイン~レプラカーンの騎行」
・富野作品でもひときわ異彩を放つ、ファンタジーアニメの戦闘級。オーラバトラーからオーラシップまで、1機・1隻単位で登場。もちろん、主役はレプラカーン(?)。ちなみに、ビルバインは5ステップを持ってます。
国民擲弾兵
2007年05月01日 09:32
お疲れ様でした。
自分の中では、ゲームを作れる人がいるって事だけで、驚異的です。
今後の予定についても経過を楽しみにしてます。が、楽しく作っていってくださいね~。紅白の餅を配る時はぜひ声をかけてください!!
うおP
2007年05月02日 18:57
>国民擲弾兵さん
いま、Mitsuさんから連絡がありました。
「餅が欲しけりゃ、ちはら会に来い、貧乏人どもめ!」と言うておりました(大嘘)
国民擲弾兵
2007年05月02日 19:58
>うおPさん
こちらも通信傍受しマスタ。
「餅ネタに、不良中年どもを狩ってやる!」どうやらオヤジ狩りか?
(ソースは東スポ?)
takoba39714
2007年05月02日 22:32
いいなあ紅白お餅。7月までとっといて下さいね。
mitsu
2007年05月02日 23:20
>いま、Mitsuさんから連絡がありました。
「餅が欲しけりゃ、ちはら会に来い、・・・

こらこら!また、人をかたって悪さをしてますね(笑い)。
よほど、たまっているようで・・・本業のやりすぎは、身体に毒です。
さあ、ちはら会で「本当の」人生をとりもどせ!

って、サイコロを振るのが、本当の人生か????(笑い)

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